This is a Japanese translation of “Why experts are terrified of a human-made pandemic — and what we can do to stop it”
生物学が進歩すればするほど、バイオセキュリティはより困難になる。そのような事態に備えて、世界ができることを紹介していく。
By Kelsey Piper 2022年8月5日
世界の国々が初めて生物兵器禁止条約(BWC)の規範とガイドラインに合意した数十年前の時点では、生物兵器の設計と製造は高価で困難なものであった。当時のソ連では大規模なプログラムが進行しており、少なくとも1つのインフルエンザウイルスを偶然放出したことで、何万人もの死者を出してしまったのではないかと疑われている。それでも、自然が作り出したものよりも致命的なものをソ連が完成させることはなかったようである。
バイオテロを行うテロ集団(例:1993年に日本で炭疽菌によるバイオテロ未遂事件を起こしたオウム真理教)が炭疽菌の改良に至ったという事例はこれまでのところないようだ。炭疽菌というのは自然界に存在する病原体で、吸い込むと死に至るが、伝染性はなく、パンデミック感染症のように世界中に広がることはない。
しかし、DNA配列解析やDNA合成技術の急速な低価格化もあり、ウイルスを操作する能力は近年、飛躍的に向上している。このような進歩は、医療革新の扉を開くものであるが、同時に課題もある。新型コロナウイルスのように致命的で破壊的なウイルス、あるいは潜在的にはもっと悪いウイルスを、今すぐとは言わないまでも近い将来、世界中の研究室で生成することが可能になりそうなのである。
新型コロナウイルス感染症よりはるかに深刻なパンデミックを防ぐには、世界規模のバイオリスクに対処するためのアプローチを世界レベルで劇的に変える必要がある。大西洋評議会の国家安全保障政策ディレクターであるバリー・パベルと大西洋評議会の共著者ビクラム・ヴェンカトラムは、「トップレベルの研究所の第一線級の専門家でもつい最近まで不可能だったような偉業を、現代のアマチュア生物学者は達成できてしまう」と論じている。
今後数十年の間に大惨事を回避するためには、研究の方法を変えたり、人々が致命的なウイルスのコピーを「プリントする」ことを難しくしたりと、人間によって引き起こされるパンデミックの危険性をもっと深刻に受け止める必要がある。
新型コロナウイルスは、パンデミック感染症がいかに早く世界中に広がるか、そして、真に殺人的なウイルスから身を守るための人類の準備がいかに不十分であるかを警告する一撃であった。もし、世界がこの警告を真摯に受け止めれば、自然発生であれ人為的であれ、私たちは次のパンデミックから身を守ることができるだろう。適切な手段を講じれば、「人間を標的とした生物学的脅威に対して、免疫をもつとまではいかなくとも、高い抵抗力を持てるようになる」とマサチューセッツ工科大学の生物学者ケビン・エスヴェルトは語っている。
しかし、この脅威を無視すれば、その結末は破滅的なものになるかもしれない。
研究所を起源とする病原体
新型コロナウイルス感染症を引き起こしたウイルスが、類似のコロナウイルスを研究していた武漢ウイルス研究所(WIV)から事故によって放出されたのか、それともずっと一般的な「人獣共通感染症」として野生動物から伝染したのか、はっきりしたことは分かっていない。米国情報機関の分析では、どちらの可能性ももっともらしいとされている。2022年には2つの研究チームが、新型コロナウイルスの世界的大流行は、生きた動物が売られていた武漢の「華南海鮮卸売市場」が最初の起源であるとする研究結果を発表した。また、『Vanity Fair』誌の最近の報道では、実験室でコロナウイルスを改変し、人間に感染しやすくなるかどうかを調べる危険かつ無謀な研究にスポットを当て、そうした研究を行う科学者が、自分たちの研究がパンデミックの原因だと非難されないように結束を固める様子が詳細に紹介されている。
しかし現実的には、確かなことはわからないだろう。人獣共通感染症が動物由来であることを突き止め、結論づけるには何年もかかる可能性がある。また、中国は武漢ウイルス研究所の新型コロナウイルス発生における役割を明らかにすることも目的とした調査には、たとえそれが不注意で起こったことであったとしても、これ以上の協力はしないと明言している。
新型コロナウイルスの原因が何であれ、感染症の大流行が一つの実験室から始まり得ることを私たちは既に体験している。自然界で天然痘の発生が報告されなくなった翌年の1978年、英国では研究所からの漏出により天然痘が大発生した。写真家のジャネット・パーカーは死亡し、彼女の母親は軽症で回復した。ウイルスに曝露した500人以上の人がワクチン接種を行った。(天然痘ワクチン接種は、ウイルスが体内に入った後でも天然痘を防ぐことができる。)この迅速かつ大規模な対応により、絶滅の危機に瀕していた天然痘が本格的に再流行することを防ぐことができたのだ。
20世紀だけで推定3億人もの命を奪った天然痘の再発生をあやうく引き起こしかけたのは、この事件だけではない。2014年、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の冷蔵庫の中に、さまざまな病気や化学物質が入った327個のガラス瓶に混じって、何十年もそこに放置されていた6個の天然痘を含んだガラス瓶が無防備な状態で発見された。FDAはそのうちの1つのガラス瓶が傷ついていたことを発見したが、幸いなことに、天然痘やその他の致命的な病気が入っているものではなかった。
他の病気でも、実験室が同様の災難を起こしかけてしまった事例がある。2014年3月、アトランタにある疾病対策センター(CDC)の研究者が、ほぼ無害な鳥インフルエンザの小瓶に、致死性がかなり高い株を誤って混入してしまったのだ。混入されたウイルスは、少なくとも2つの異なる農業研究所に出荷され、一方では鶏が病気になり死亡したことで誤りに気づけたが、もう一方は1カ月以上も気づかれず放置されていた。
この過ちは、CDCが大規模な調査を行ったときに初めて上層部に伝えられた。この調査自体は、CDC内の研究所で炭疽菌のサンプルを不活性化するべきところ、誤って活性化したものを用意してしまい、75人の連邦職員を生きた炭疽菌にさらしたおそれがあることを発端とするものであった。
2003年にSARSが発生した後、研究所からの漏出によるSARS感染事件が別々に6件発生していた。一方、台湾では昨年12月、1カ月以上国内での感染者が出ず、感染抑制に成功していた矢先に、一人の研究者が新型コロナウイルスに感染した。台湾当局は、研究者が安全性の高い生物学研究室で、感染したマウスに噛まれたことでウイルスに感染したとみて、事件の足取りをたどっている。
ジョー・リーバーマン元上院議員は、今年3月、超党派の生物兵器防衛委員会で、「実際のところ、生命科学分野では実験室における事故は珍しくない。」「世界中の国々が感染力の強い致死的な病原体の研究を行うための研究所を増設しており、実験室での事故も当然ながら増えるだろう」と述べている。
キングス・カレッジ・ロンドンでバイオセキュリティを研究するコブレンツとレンゾスは、BSL-4に分類される研究所(最も危険な病原体を扱うことを許可されたバイオセキュリティの格付けが最も高い研究所)が、23カ国で稼働中、建設中、または計画中のいずれかの状態で現在60近く存在するという研究結果を昨年発表した。このうち少なくとも20の研究所は過去10年以内に建設され、75%以上は研究所から流出があった場合、それがすぐに拡散されるような都市部に位置している。
研究所からの流出が今後も起こっていくことがほぼ確実視されるのと同時に、流出した場合にパンデミックを引き起こす可能性のあるウイルスの製造も、より安価で容易になってきている。つまり、一つの研究所や小さなグループが、意図的にせよ偶然にせよ、世界中で大惨事を引き起こすことが可能になっていると考えられる。
「これまではテロリストに専門知識がなく、バイオテクノロジーを使って危険な病原体を作り出し放出することはそもそも困難であったため、バイオテロが大規模な影響を及ぼす可能性は抑制されていた。しかし現在では、高度なバイオテクノロジーの入手も利用も容易になってきており、バイオテロを起こす難易度は下がっている」とパベル氏は主張する。その結果どうなるのか?「バイオテロ事件が今まで以上に横行するようになるだろう。」
危険な研究とその対策
1975年に発効した生物兵器禁止条約は、あらゆる大量破壊兵器の生産を禁止した最初の国際条約である。
この条約に加盟している183カ国では、新たな生物兵器の研究や製造が違法とされた。また、既存の生物兵器を破壊するか、平和利用することも義務づけられた。1969年、リチャード・ニクソン大統領(当時)は、米国は攻撃的な生物兵器の開発を取り止めると発表したとき、「人類はすでにあまりも多くの自滅の種をその手に握っている」と語った。
しかし、生物兵器がもたらす脅威は甚大なものであるにもかかわらず、生物兵器禁止条約は資金不足で、優先順位も低い。化学兵器禁止条約が数百人のスタッフで運営されているのに比べ、BWCはわずか数人のスタッフで実施支援部門を運営しており、予算は平均的なマクドナルドのフランチャイズ店よりも少ない。米国は、比較的少額の資金提供で生物兵器禁止条約を大幅に強化することが容易に可能であり、絶対にそうすべきである。
この条約には幅広い目的があるのだが、生物兵器として機能する可能性のある危険な病原体を特定する作業の多くは、現在もなお進行中である。もちろんこれは、冷戦時代に軍事目的で病原体を意図的に作り出すために行われた秘密プログラムではなく、次のパンデミックを引き起こす可能性のあるウイルスについて研究し、学ぶための善意のプログラムとしてである。ただ、このことが意味するのは、生物兵器禁止条約では、たとえウイルスの放出が完全に不注意であったとしても、今後の生物兵器使用の危険性が最も高い研究のほとんどを抑制することができない、ということだ。
このような研究の一つに「機能獲得研究」と呼ばれるものがあり、研究者はヒトへの感染力や致死性を高めたウイルスを作成し、ウイルスが自然界でどのように進化していくかを研究している。
「私が初めて機能獲得研究のことを耳にしたのは1990年代だが、その時は生物兵器研究開発という別の言葉で呼ばれていた」と語ったのは、オバマ政権時の元国防次官補(核・化学・生物防衛プログラム担当)で、現在は戦略リスク協議会のシニアフェローであるアンディ・ウェーバー氏である。「アメリカ国立衛生研究所はパンデミックから世界を救おうとしており、意図は180度違うのだが、実施している内容にはかなり一致している。」
機能獲得研究の位置づけは、この10年間、熱く議論されてきた。2014年、ここまで紹介してきた研究所の安全性と封じ込め失敗の一連の恐ろしい事件と、鳥インフルエンザにおける驚くべき機能獲得研究の発覚を受けて、世界中の最先端の生物学研究の多くに資金を提供しているアメリカ国立衛生研究所は、インフルエンザやSARSといったパンデミックを引き起こしうる病原体の機能獲得研究を一時的に停止した。しかし2017年、大した説明もないままこの研究は再開される運びとなった。
この研究から得られる利益は限定的で、コストに見合わないとして多くの一流の生物学者が反対しているにもかかわらず、米国は今もなお、いくつかの選ばれた研究所に対して機能獲得研究のための資金を提供している。2021年には、SARS、MERS、インフルエンザウイルスに関する機能獲得研究に資金を提供する連邦研究助成を禁止する法案が提出された。
機能獲得によって強化されたウイルスが偶然に逃げ出し、大発生を引き起こすかも知れないというリスク(証明されてはいないものの、新型コロナウイルス発生の一説である)もそうだが、危険ではあっても正当な研究と意図的に悪性の病原体を作ろうとする研究とを見分けるのは難しいかもしれない。「この危険な機能獲得研究を政府が支援したために、生物兵器研究をしたい国にとっては完璧な隠れ蓑になってしまったのです」とウェーバーは言った。
次のパンデミックを防ぐために、彼が勧める第一のことは、「今回の、そして将来のパンデミックの原因になりうると判断されるような危険な研究に対する政府の資金提供を取り止める」ことである。
潜在的に危険を孕むウイルス学の研究領域には他にも、ヒトに感染してパンデミックを引き起こす可能性のあるウイルスを育む温床となる動物種の特定を目指すものがある。この研究に携わる科学者は、危険な可能性を秘めた病原体のサンプルを採取するために遠隔地に出かけ、研究室に持ち帰って、それが人間の細胞に感染する可能性があるかどうかを調べるのである。これはまさに、武漢ウイルス研究所の研究者が新型コロナウイルス感染症に至るまでの数年間、もとのSARSウイルスの発生源を探すために行っていたことである。
このような研究は、パンデミックを起こし得る病原体がヒトに感染するのを防ぐための方法として宣伝されていたが、いざSARS-CoV-2と戦う時にはほとんど役に立たなかったとウェーバーは言う。「15年間もこの仕事を続けてきたが、その成果はほとんどないと思う」とウェーバーは語った。この見解がウイルス学コミュニティにおける唯一のものというわけではないが、珍しいものでもない。ウェーバーは、今回の新型コロナウイルス感染症がが再考のきっかけになるはずだと考えている。「情報機関が結論づけたように、このような研究がパンデミックを引き起こした、という考えはもっともなものである。この研究は、パンデミックの予防にも、パンデミックの予測にも全く役に立たなかった。」
野生生物とヒトの境界に存在するウイルスを特定し、それが拡散されるのを防ぐ活動が不可欠だ。しかし、ウイルス探索の実績は限定的であること、多くの専門家は、現在のウイルス探索のやり方が良いアイディアなのかどうか疑問視している。彼らは、ウイルス探索活動の利点が誇張される一方、潜在的な害は過小評価されていると主張している。
このプロセスは全ての段階において、科学者たちが研究し防止しようとしている動物 – ヒト間の感染を、この研究自体が引き起こしてしまう危険性を孕んでいる。そして最終的には、放出されれば非常に危険であると確認されたすべての病原体が載った詳細なリストが、生物兵器計画やテロリストのもとへ贈られることになるのである。
DNA合成技術の向上により、ウイルスのRNA配列が手に入れば、その配列を「プリント」してウイルスのコピーを作ることは比較的容易である(詳しくは後述)。最近では、「あるものがパンデミックを起こし得ると確認されることと、それが武器として利用できることの間には、何の違いもない」とエスベルトは語る。
良い知らせは、政策立案者が危険な研究の軌道修正するのは難しいことではないということだ。
世界中で行われている生物学研究の大部分はアメリカ国立衛生研究所(NIH)によって助成されており、危険な研究へのNIHからの助成をあらためて禁止すれば、実施される危険な研究の数を大きく減らすことができるだろう。もし米国が、病原体の致死性を高めたり、パンデミックを起こし得る病原体を特定したりする研究への資金提供を禁止する、確固で透明性のある政策を採用すれば、他の国でも同様の研究を抑止するのに必要な国際的なリーダーシップを発揮しやすくなるだろう。
「中国もこの研究に資金を出している」とエスヴェルトは言う。新型コロナウイルス感染症の大惨事に遭ったことで、考え直す気になっているかもしれないが、「もしこのままアメリカが資金提供を止めなければ、中国と交渉して中国の資金提供を止めさせるのは難しいだろう。」
これらのことは、政策立案者のためのわかりやすい解決策になる。危険な研究への資金援助を止め、他の国々が同様の研究への資金援助を止めるために必要な科学的・政策的コンセンサスを築き上げることだ。
この単純な解決策の背後には、非常に複雑な問題が隠されている。米国が危険な研究に資金を提供すべきかどうかという議論の多くは、何をもって「機能の獲得」とみなすかという技術的な議論に行き詰っている。まるで、重要なのは科学用語であって、そのような研究が何百万人もの命を奪うパンデミックを引き起こすかどうかではないかのようである。
ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターと米国核脅威イニシアティブによる2021年の報告書によると、「94%の国が、デュアルユース研究(平和と軍事、両方の目的で使用できる研究)を監督するための国内法や規制、監督を担当する機関、国家による評価の根拠など、国家レベルでのデュアルユース研究への監督手段を有していない」ことがわかった。
そして、もしそうなった場合、その結果は自然が作り上げるものと同じか、それ以上に悪いものになる可能性がある。ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターが2018年に行ったパンデミックシミュレーションで起こったのは、まさにそのようなことだった。この架空のシナリオでは、オウム真理教をモデルにしたテログループが、一般に幼児に軽い症状を引き起こすウイルス群の一種であるパラインフルエンザの高い感染性と、ニパウイルスの極めて高い毒性を組み合わせたウイルスを作り出す。その結果、最終的には世界中で1億5千万人の死者を出すスーパーウイルスが誕生した。
DNA合成とその生物兵器開発への影響
「合成生物学とバイオテクノロジーの進歩により、病原体の致死性や伝染力を高めることはかつてないほど容易になった。生命科学の進歩は、政府がついていけないほどのペースで進んでおり、危険な病原体が意図的または偶発的に放出されるリスクは高まっている。」とリーバーマンは3月の超党派生物防衛委員会で語っている。
最近の生物学における最も目覚しい進歩の1つは、DNA合成がますます容易になっていることだ。今では、既知の配列からDNA(またはインフルエンザやコロナウイルス、はしか、ポリオなどのウイルスの遺伝物質を構成するRNA)を「プリント」することが可能になった。かつては、特定のDNA配列を作成することは非常に高価か不可能であったが、現在では、より簡単かつ比較的安価になり、遺伝子を通信販売で提供する企業も複数存在する。ウイルスを作るには科学的な技術が未だ必要だが、以前ほど高価ではなく、ずっと小規模なチームで行うことが可能である。
DNA合成技術によって、多くの重要かつ貴重な生物学研究が可能になるのだから、これは素晴らしいニュースといえるだろう。しかし、技術の進歩があまりにも速いことで、それを悪用しうる危険な使用者に対する対策は遅れてしまっている。
さらに、既知の危険な配列と照合するためには、研究者が既知の危険な配列をリスト化したものを管理する必要があるが、これ自体が悪質な行為者が害を及ぼすために利用しうるものである。この結果こそが、存亡リスクを研究するニック・ボストロムが定義する「情報ハザード」であり、「害を及ぼす可能性のある、あるいは害を及ぼすことを可能にするような真の情報が広まる、あるいは広まる可能性があることによって生じるリスク」なのである。
「DNAは本質的に、デュアルユースの技術である」と2020年に語ったのは、業界をリードする合成DNAプロバイダーTwist Bioscienceでバイオセキュリティに取り組むジェームズ・ディガンズである。つまり、DNA合成は生物学の基礎研究や救命薬の開発スピードを速める一方で、人類にとって致命的な研究にも使われる可能性があるということだ。
これは、企業(産)、大学・研究機関(学)、行政(官)の三者全てのバイオセキュリティ研究者が今日直面している難問である。さまざまな有益な用途への利用のためにDNA合成をより速く、より安価にしていく一方で、プリントされたすべての配列をスクリーニングし、その危険性に適切に対処する方法を見つけなければならない。
今の段階でこのことが難しい問題のように聞こえるのであれば、今後はその状況がさらに悪化する可能性が高い。DNA合成がますます安価で簡単になることで、多くの研究者が期待するのは卓上型合成装置の誕生である。この合成装置があれば、研究者は自分の研究に必要なDNAを中間業者なしに簡単にプリントすることができるようになる。卓上型合成装置のようなものができれば、生物学は飛躍的に進歩するだろうし、悪質な行為者が危険なウイルスをプリントすることを防ぐこともさらに困難になる。
また、DNA合成が安くなると、危険な配列をスクリーニングすることのコストに占める割合が大きくなるため、スクリーニングをしないことで会社はかなり安い価格を提示できるようになるだろう。つまり、スクリーニングを手抜きすることによってコスト面で有利に働く可能性がある。
エスヴェルト氏と、アメリカ、EU、中国の研究者からなるチームは、考えられる解決策としてあるフレームワークを開発した。彼らが考えるのは、致命的で危険な配列のハッシュ値をデータベース化して管理することだ。ここでは、数学的に生成された文字列は各配列に一意に対応するが、すでにその配列を知らない限りは、逆変換をして元の配列を知ることはできない。こうすることで、誰のプライバシーも知的財産も危険にさらすことなく、また、危険な配列リストを、テログループや生物兵器プログラムがショッピングリストのように手軽に使える公のものとして維持することなく、致命的な配列のリストと照合が可能になる。
「今年後半には、DNA合成のスクリーニングを世界中の国で無料で行えるようにする予定だ」とエスヴェルトは語った。
安全性を確実なものにするには、このような提案とともに、DNA合成会社に配列を送らせ、エスヴェルトが作成したような危険な配列が登録された認定データベースと照合するよう、政府が義務づけることが必要であろう。スクリーニングの安全性と透明性が保証されており、消費者に無料で提供されることで、願わくば、こうした規制は歓迎されるものであってほしい。そうすれば、正当な生物学の研究の発展を遅らせることなく、研究をより安全にすることが可能になる。
国際的な統治は常にバランスをとるのが難しく、新しい技術を発明し、改良するたびに、これらの問題の多くについては、答えを再検討し続ける必要があるだろう。しかし、私たちに待っている余裕はない。新型コロナウイルスのオミクロン変異体は、アメリカではわずか数ヶ月の間に数千万人に感染した。病気が広がるのはとても速く、問題が発生したと分かったときには手遅れということもあり得るのだ。
幸いなことに、致命的なウイルスを設計するハードルを上げるためのスクリーニングプログラムや、新しく危険な病気を開発する研究を中止するための世界的な取り組みなど、我々が前もって行う選択次第では、深刻な大惨事のリスクは大幅に軽減することができる。しかし、実際にこれらの措置を即座に、かつ世界規模でとらなければ、世界中のあらゆる計画をもってしても、人類を救うことはできないだろう。