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This is a Japanese translation of “The Moral Imperative Towards Cost-Effectiveness

この記事はトビー・オードが執筆し、2013年3月に Center For Global Development で初公開、2019年10月には Effective Altruism: Philosophical Issues で再び掲載されました。

この記事では、リソースと成果の関係性を捉えるための重要な手段である費用対効果を無視すると、グローバルヘルスにとって何が失われるかを道徳的な観点から論じることで、費用対効果の道徳的重要性を探っていく。

全文

費用対効果は、グローバルヘルスにおいて道徳的に最も重要な問題の一つである。グローバルヘルスの倫理に関して議論する際には、正義や平等、自由といったより伝統的な道徳的問題に焦点が当たることが多いため、費用対効果を重視するという主張は多くの人にとって意外に感じられるものかもしれない。もちろん、伝統的な道徳的問題も重要ではあるが、多くの場合ではその重要性がかすむほど費用対効果の重要性は大きい。本文では、なぜこのようなことが起こるのか、そしてそれがグローバルヘルスにとってどのような意味を持つのかを説明していく。

グローバルヘルスにおける費用対効果の状況

費用対効果を考慮することが重要であるのは、異なる介入策ごとに費用対効果に顕著な差がでるからである。まず、このことがどのようにして道徳的な考慮事項となるのかを示すために、単純化した例から見てみよう。仮に、失明と闘うために自由に使える予算が4万ドル(約600万円)あるとする。考えれる一つの方法は、アメリカのような先進国で盲目の人に盲導犬を提供し、障がいを克服する手助けをすることだ。この方法では、犬とその受け手の訓練が必要なため、約4万ドルの費用がかかる[1]

また別の選択肢として考えられるのが、アフリカでトラコーマ(失明に繋がる感染症)の影響を和らげるための手術に予算を利用することだ。これにかかる費用は、回復した患者1人あたり$20ドル(約3000円)未満である[2]。他にも多くの選択肢があるが、ここでは簡単のために、この2つだけを考慮してみる。

したがって、この全予算を、盲導犬を1頭提供して1人の人が失明による困難を克服する助けとして使う、もしくは2,000人以上の失明を治療するために使うことができる。もし、人間の道徳的価値が等しいと考えるなら、2つ目の選択肢の方が2,000倍以上優れていることになる。別の言い方をすれば、1つ目の選択肢は、生み出すことができたはずの価値の99.95%を浪費していることなる。この例は基本的な点を説明しているものの、いくつかの点で非現実的でもある。第一に、アメリカでの治療が他の国の治療とトレードオフされることは稀である。医療予算は通常この例における条件よりも制限されており、特定の豊かな国の人々にのみ使われる、あるいは貧しいと指定されたカテゴリーの国に住む人々にのみ使われるという制約がある。第二に、たいてい多くの中間的な選択肢が存在する。もっとも重要なこととして第三に、検討される介入策には広範な種類があることが多く、それらの効果を単純比較するのは困難である。

このうち3つ目の懸念に対しては、医療経済学者と道徳哲学者による回答がある。彼らが利用するのは、どんな健康上の利益の価値も比較できるほど強力な尺度である。グローバルヘルスにおける標準的な指標は、障がい調整生存年(Disability Adjusted Life Year: DALY)といわれるものである。これは、健康状態の価値を、障がいを持ちながら生きた年数にその重症度を表す数値を乗じたものと、その健康状態によって失われた年数を足し合わせることで測定するものである。例えば、ある健康状態によって、5年早く亡くなり、最後の10年間は耳が聞こえない状態で生きた場合、5 + (10 x 33.3%) = 8.33 DALYsとしてその健康状態は評価される。

DALYsの計算方法はかなり複雑で多くの選択肢があるため、いくつもの微妙に異なったバージョンのDALYsとQALYs (Quality Adjusted Life Year) と呼ばれるDALYsと密接に関連した単位が生み出されてきた。特に問題となるのが、ある障がいによって生じる苦しみが平均でどの程度悪いかを示す重みの大きさである。また、割引率や年齢の重み付けについても考慮しなければならない。これらのパラメータについての異なる選択によって、ある疾患によるDALYsの値が数%、あるいは2倍にも半分にもなる可能性がある。そのため、DALYsは、あくまでも、様々な健康状態の価値喪失を推定するための大まかな尺度としてのみ考慮されるべきである。ゆえに、このような大雑把な指標では役に立たないと思われるかもしれない。介入策間の費用効果の差が2倍程度であれば、これは正しいかもしれないが、実際のケースでは、その差が100倍以上あることも多いため、大まかな指標でも重要な比較を行うには全く十分なのである。

ここで、HIVとAIDSの予防や治療のための資金提供の実例を見ることで、上で述べた3つの懸念事項すべてを扱っていく。ここでは、以下の5種類の介入策を考える。(1) カポジ肉腫(エイズを特徴づける病気)の外科的治療、(2) 感染者の体内にいるウイルスと闘う抗レトロウイルス療法、(3) 妊娠中の母から子どもへのHIV感染予防、(4) より一般的な感染防止のためのコンドームの配布、(5) セックスワーカーなど高リスク集団に属する人々への教育。どの介入策に資金を提供するのが最善であるかは一見すると不明確であり、どれも同程度に重要だと思われるかもしれない。しかし、グローバルヘルスにおける費用対効果に関する最も包括的な大要である「発展途上国における疾病コントロールの優先順位に関するレポート第2版(以下DCP2)」では、それらの推定費用対効果を以下のように算出している[3]Image
介入策ごとに有効性が大きく異なっているのがわかるだろう。カポジ肉腫の治療の有効性は、このスケールのグラフでは目視することができないが、それはこの治療が悪いというわけではなく、他の介入策の効果が非常に高いということである。カポジ肉腫の治療は、豊かな国においては費用対効果が高いと考えられている。抗レトロウイルス療法はカポジ肉腫の治療の50倍、妊娠中の母子感染予防はこの5倍、コンドームの配布はこの約2倍、高リスク集団への教育はそのさらに2倍ほどの効果があると推定される。まとめると、これら5つの介入策のうち最善なものは、費用対効果が最も低いものの1,400倍、すなわち富裕国で資金を獲得するために必要な効果の1,400倍以上の効果があると推定されるのである。

有効性の違いは,異なるタイプの疾病を対象とした介入策を比較する場合にはさらに大きくなる。DCP2には、108の医療的介入策に対する費用対効果の推定値が含まれており、以下のグラフに、最も効果の低いものから最も効果の高いものの順に示されている[4]
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このように大規模な介入策のサンプルでは、費用対効果の点ではさらにばらつきがあることがわかる。分析した中で最も効果の低い介入策は、やはりカポジ肉腫の治療であるが、高リスク集団への教育よりも最大で10倍ほど費用対効果の高い介入策も存在する。調べた介入策の効果は、1000ドルあたり0.02から300DALYsのものまで4桁以上に分散しており、DALYsの中央値は5であった。したがって、最も効果の低い介入策から最も効果の高い介入策に資金を移動させれば、約15,000倍の効果が得られ、中央値の介入策から最も効果の高い介入策に資金を移動させても、約60倍の効果が得られることになる。また、分布が歪んでいるため、最も効果的な介入は不釣り合いな量の利益を生み出していることがわかる。DCP2のデータによれば、これらの介入策すべてに均等に資金を提供した場合、利益の80%は上位20%の介入策によってもたらされることになる。

これらは単に費用対効果の推定値に過ぎず、実際の費用対効果の値のばらつきはこれよりも小さいかもしれないことには留意しなければならない。しかし、最も効果的な介入策がの有効性が推定値の10分の1であり、最も効果のない介入策の有効性が推定値の10倍であったとしても、二者間の有効性の差は150倍である。

さらには、DCP2が調査したどんな介入策よりも効果的な医療的介入策も実施されている。例えば、下痢やマラリア、天然痘など予防接種で防げる病気を理由に失われた命を救うための活動がどれほど進歩してきたか、次のグラフを見ながら考えてみよう[5]

Image

いずれの事例においても、私たちの医療的介入によって、少なくとも250万人の死者が年間で減少していることがわかる。この成果がどれほどの規模であるかを示すために、20世紀における戦争と大量虐殺による年間平均死者数(230万人)を示す棒グラフが一番下に追加してある。このように、これら4つの疾病分野のそれぞれにおいて、私たちの保健医療介入は、平和を維持することで救うことができるとされる命よりも多くの命を救っている。

しかも、これらの成果は非常に安価に達成されてきたのである。例えば、天然痘の場合、根絶に要した総費用は約4億ドル(600億円)である[6]。これにより今日までで1億人以上の命が救われてきため、救われた命1人当たりにかかった費用は4ドル(600円)未満と計算でき、DCP2におけるどんな介入策よりも大幅に優れていることになる。さらには、根絶したことで多額の資金を節約できている。かつては、発展途上国全体で年間約7000万ドル(10億円)が天然痘の定期予防接種と治療のために費やされ、生産性の低下により年間10億ドル(1500億円)以上が失われていた[7]。 米国だけでも、天然痘が根絶される以前はその予防接種と警戒のために年間1億5000万ドル(200億円)が費やされていた[8]。したがって、根絶計画は、戦争によって失われる命よりも多くの命を救い、同時に寄付者と受け取り手の両者のお金を節約して数ヵ月ごとにその費用をすべて回収していたことになる。これこそまさに、グローバルヘルスがいかに費用対効果の高いものであるかを示す優れた証拠である。

道徳的な議論

これらの例では、グローバルヘルスにおいて費用対効果がいかに大きく異なり得るかを見てきた。HIV/AIDSの場合、最も効果の低い介入策は、最も効果の高い介入策の0.1%未満の価値しか生み出せず、異なる種類の病気にも目を向けると、この割合は0.01%未満にも低下する。ここから言えるのは、費用対効果を無視すれば、保健医療予算が達成しうる潜在的価値の10%や20%が失われるどころではなく、99%以上もが容易に失われてしまうということだ。中央値の介入策を選んだとしても、潜在的価値の85%を失うことになる。現実的なシナリオに置き換えれば、これは優先順位をつけなかったために、何百、何千、何百万もの人が余計に死ぬことを意味する。救命を伴わないケースでは、何千、何百万人もの人々が治療されずに障がいを負うことを意味する。

グローバルヘルスにおける他の倫理的問題が絶対的な意味でとても重要であっても、大抵の場合、費用対効果の重要性よりはるかに小さい。例えば、公平性の観点からは、比較的裕福な都市の住人100万人を治療することは、その都市のまわりに点在する相対的にずっと貧しい地域の住人100万人を治療することよりも悪いかもしれない。それでも、価値の99%が失われるほどはるかに悪いわけではない。たしかに、倫理的問題を正しく意思決定に反映させることは、重要で難しい問題である。しかし、今日の私たちは、それ以前のもっと基本的で、もっと明白で、もっと重要な問題、つまり、より少ない人数ではなく、より多くの人を助けることを選び、より小さな健康上の利益を生み出すのではなく、より大きな健康上の利益を生み出すことを選ぶということすらできていないのだ。

異論への対応

費用対効果というのは、あまりにも月並みで、単なる実装の問題のように思われるため、倫理的な問題としては扱われないことがある。しかし、これは全くの見当違いである。保健医療予算の使い道を決める人は、多くの人の命や生活を握っており、それは文字通り、生死を分ける決断を下しているということだ。にもかかわらず、この種の決定のほとんどにおいて、費用対効果に関する考慮があまりにも不十分である。その結果、生きられたはずの何千、何百万という人が死んでゆく。多くの人を犠牲にして、少数の人が救われるのだ。これは一般的に、偏見からというよりも、費用対効果の重要性についての無知から起こることだが、その影響は同様に深刻である。

なかには、大切なのは結果だけではない、と異議を唱える人もいる。例えば、徳のある行動をすることや権利の侵害を避けることも重要だと考える人もいる。しかし、特に生死を分けるような状況や、何千人もの人々に影響を与えるような状況においては、結果こそが道徳的意思決定の重要な要素になると、いかなる妥当な道徳理論も判断する。実際、このような場合こそ、権利の侵害すら許容されうると考えられている。しかし、今検討している事例では、より大きな善を生み出すことと、徳のある行動を取ることや人権侵害を避けることとの間には、矛盾すら生じない。ここでは相反する深刻な道徳的な要因はないため、結果は非常に大きな道徳的重要性を持つ。したがって、どの道徳理論を支持する者でも、最も費用対効果の高い介入策に資金を提供することの道徳的重要性に同意すべきである。

異なる医療的介入策の利益を推定する際には、何らかの方法を選択する必要があるが、その選択が懸念になるかもしれない。例えば、特定の障害の重み付けやその重み付けの算出方法、健康上の利益の割引率、受け手の年齢に応じた利益の重み付け、平等などの他の問題を考慮する必要があるかどうか、などについて意見が分かれるかもしれない。しかし、これらのことはここまでの主張に何ら反するものではない。筆者自身も同じような懸念を抱いているが、先に述べたように、私たちが直面する現実的な選択には、それぞれの介入策間で10倍以上の差が出ることが多いため、挙げられたどの修正を加えても、ランキングが大きく変えることはないだろう。費用対効果の詳しい測定方法に懸念を抱いている人は、細事にこだわりすぎて大事を逸し、何千人もの不必要な死を招くのではなく、費用対効果のコミュニティとともに、これらの測定方法の改善に取り組むべきである。

費用対効果に基づいて優先順位を付けることに対して初めに疑い深くなるもう一つの理由は、費用便益分析(cost-benefit analysis: CBA)との混同である。後者は経済学的な優先順位付けの手法であり、人々がいくら支払ってもよいと思うかによって便益を求め、それを合計し、総費用で割って、1ドルあたりの便益費用比を算出するものである。富裕層はある利益に対してより多くのお金を支払うことを望むため、この方法によれば富裕層への利益は貧困層への同等の利益よりも価値があるとみなすことになり、倫理的には疑わしい。

しかし、この記事で取り上げてきた費用対効果はこれとは全く異なるもので、費用対効果分析(cost-effectiveness analysis: CEA)と呼ばれるタイプの分析である。これは便益をドルに換算するのではなく、1ドルあたりのDALYs、すなわち1ドルあたりの救命数といった単位で便益を示すだけである。したがって、受益者の富が分析に対する入力になるわけではなく、富裕層に有利な介入策を優遇することはない。

費用対効果は、お金と健康(あるいは命そのもの)を結びつけるものであるために、費用対効果に疑念を抱いたままの者もいるかもしれない。命のようないわゆる神聖な価値のあるものと、金銭のような非神聖な価値のものとの間でトレードオフを行うことを、多くの人は道徳的に問題があると考える。しかし、費用対効果分析では、そのようなトレードオフは行われない。その代わりに、ある金額の中でという予算の制約がある。費用対効果の比率は、あるお金を、例えば1000人の命を救うのに費やすか、1万人の命を救うのに費やすかなど、異なる介入策に使った場合に因果関係上どれだけの利益が生み出されるかを調べるのに役立つ。つまり、比較されるのは、これらの便益の間だけである。1万人の命を救うために予算を使う価値があるかどうかは、分析の対象にはならない。

結論

グローバルヘルスにおける費用対効果を無視することは、多くの場合で私たちが創造しうる価値のほぼすべてを失うことを意味する。したがって、最も費用対効果の高い介入策に資金を提供することは、道徳的に必須なのである。これは、単に現在の介入策を可能な限り費用対効果の高い方法で実施することを意味するものではない。なぜなら、単一の介入策から得られる改善の余地は相対的にとても小さいからである。また、プログラム評価の一環として、助成した介入策の費用対効果を回顧的に測定することだけを意味するのでもない。それが真に意味するのは、資金を割り当てることのできる介入策を積極的に調査し、その中で最も優れた介入策に資金の大部分を当てるということだ。理想を言えば、検討される介入策の領域をも拡大し、今までに分析されてきたすべての介入策を考慮に入れるべきである。

費用対効果への道徳的義務を理解することの主な効果は、より大きな健康上の利益を生み出し、より多くの命を救い、より多くの障がいをもたらす状態を予防または治療するために、予算を使うことである。しかしこれは同時に、世界的な医療費助成に関する非常に興味深い事実を示してもいる。仮に、ある治療法で1,000人の命を救い、同じ価格の別の治療法で10,000人の命を救えるとしたら、前者から後者に資金を移すだけで9,000人の命を救うことができる。つまり、ある介入策から費用対効果の高い介入策に資金を移動するだけで、同額の追加資金とほぼ同程度の利益を生むことができるのだ。これは、ある選択肢が他の選択肢より10%や30%程度優れているだけの場合には当てはまらないため、直感的には理解しにくいかもしれない。しかし、グローバルヘルスでよく見られるように、ある選択肢が10倍または100倍も優れている場合、資金の投入先を変えることは非常に効果的であり、優れた介入策に直接新しい資金を追加するのとほぼ同じ効果が得られるのである。世界的な緊縮財政と予算縮小の時代にあって、既存の予算内でどれだけ多くのことができるかを知ることは重要だ。

注意: 本文中のアメリカドルと日本円換算は、2022年10月1日現在の1USD = 約145円で計算されています。

  • Joseph Cook, et al. 2006. ‘Loss of vision and hearing’ in Jamison et al. (eds.), 2006. Frank Fenner, et al. 1988. Smallpox and its eradication, (Geneva: World Health Organisation).
  • Dean Jamison, et al. (eds.), 2006. Disease control priorities in developing countries, 2 nd edn., (Oxford and New York: Oxford University Press).
  • Prabhat Jha et al., 2004. ‘Health and economic benefits of an accelerated program of research to combat global infectious diseases’, Canadian Medical Association Journal 171:1203–8.
  • Milton Leitenberg, 2006. ‘Deaths in wars and conflicts in the 20 th Century (3 rd ed.)’, Occasional Paper #29, Cornel University Peace Studies Program (Ithaca: Cornel University).

出版

  • 記事: The Moral Imperative Toward Cost-Effectiveness in Global Health
  • 著者: Toby Ord
  • 出版: Effective Altruism: Philosophical Issues
  • 編集: Hilary Greaves and Theron Pummer
  • DOI: 10.1093/oso/9780198841364.003.0002
  • 発行年: 2019
  • ISBN-13: 9780198841364
  • Oxford Scholarship Online 掲載日: 2019年8月
  1. ^

    アメリカ盲導犬協会の試算では、犬の訓練に1万9000ドル(約275万円)かかるとされている。盲導犬利用者の訓練費用を含めると、その費用は2倍の38,000ドル(約550万円)にのぼる。他の盲導犬業者も同様の見積もりを出している。例えば Seeing Eye は一パートナー(人・犬)あたり合計5万ドル(約725万円)、Guiding Eyes for the Blindは合計4万ドル(約580万円)と見積もっている。

  2. ^

    Cook et al. (2006), p. 954. 一回の手術が7.14ドル(約1000円)、治癒率は77%。

  3. ^

    Jamison et al. (2006).

  4. ^

    Jamison et al. (2006).

  5. ^

    健康状態の推定値は Jha et al. (2004), p. 1204 を引用。20世紀における全ての戦争行為と大量虐殺による死者数の推定値は、約1億6000万人から2億4000万人と幅があり、厳密にどの死者を含むかについて異なる。この推定値はLeitenberg (2006),p.1によるものである。

  6. ^

    Fenner (1988), p. 1366.

  7. ^

    Fenner (1988), p. 1364.

  8. ^

    Fenner (1988), p. 1365

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