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This is a Japanese translation of “Hits-based Giving

By Holden Karnofsky 2016年4月4日 

ヒットベースの寄付の基本的な事例

概念的に私たちが焦点を当てているのは、どれだけよいことをできるかの期待値を最大化することである。期待値を正確に、または定量的に概算できることはあまりないが、この考え方は私たちが何をしようとしているかを説明する助けにはなる。仮に、かなり単純化した例を考えてみると、次のような機会はどちらも同じくらいよさそうだ:(1)100万ドル(約1.5億円)の助成金で500人の早死にを確実に防ぐ。(2)100万ドルの助成金で90%の確率で何も達成できないが、10%の確率で5000人の早死にを防ぐ。両者とも期待値は、500人の早死にを防ぐということになる。この例から分かるように「期待値」を重視すれば、低リスクの慈善事業と高リスクで変革をもたらす可能性のある慈善事業のどちらを選ぶかは基本的に問われないことになる。その詳細に応じて、どちらも選択することができる。余談だが、私たちがこれまで出会った資金提供者の多くは、大きなリスクを取るべきか、信頼性と実績のあるものに資金を提供すべきかについて確固たる意見を持っていた。

とはいえ、「期待値」アプローチは高リスクで変革をもたらす可能性のある寄付を好むことが多いと考えられる基本的な理由がいくつかあると思う。

1. 慈善事業の歴史。私たちは以前、慈善事業の主な成功例に関しての全般的な概要を示した。その後も慈善事業の歴史プロジェクトを通じてこのテーマをさらに調査しており、2016年末までには、調査内容をまとめた最新の要約を発表する予定である。その結論の一つとして挙げられるのが、ある慈善家が大きなリスクを取って、成功する見込みのないものに資金を提供した結果、多くの頓挫したプロジェクトを補うに足るほど大きなインパクトをもたらした事例が少なくとも数件あったということだ。

ここで、特に顕著な事例を紹介する(ただし、インパクトがプラスであったかではなく、インパクトの大きさに焦点を当てていることに留意してほしい)

  • ロックフェラー財団は発展途上国の農業生産性を向上させる研究に投資し、それが「緑の革命」のきっかけになったと一般に考えられており、Wikipediaには「10億人以上を飢餓から救ったと評価されている」と書かれている。(Wikipediaの記事はロックフェラー財団の役割について述べており、Open Philanthropy Projectの支援を受けているHistPhilブログのこの記事でも同様である。)
  • ジョナサン・イーグは『ピルの誕生』において、慈善家でフェミニストでもあるキャサリン・マコーミックがマーガレット・サンガーの助言を受けて、経口避妊薬の開発につながる重要な初期段階の研究への唯一の資金提供者となったと評価している。経口避妊薬は、現在最も一般的かつ最も便利な避妊法の一つとなっている。
  • スティーブ・テレス教授は『米国保守派による法改正運動』において、保守派は成功を予測する術がない中で、長期的でリスクの高い目標に多大な資金を投入したと論じている。また、その最終的なインパクトは、法曹界のあり方や政治的保守主義の一般的な知的地位を大きく変えるものであったとも論じている。

これらの話が正しいのあれば、慈善事業、特に初期段階の研究やリスクの高いプロジェクトを支援する慈善事業が、20世紀のより重要な発展に大きな役割を果たしたことになる[1]。仮に、大成功したプロジェクトの一つと、似たような目的を持ちながら失敗に終わった数多くのプロジェクトを含んだ慈善事業「ポートフォリオ」を作ったとしたら、ドルあたりのインパクトという点で、おそらく非常に優れた業績を納めていることになるだろう。

2. 比較優位性。可能な限り良い寄付をする方法を考える際、一つの発見方法として、「慈善家 は他の機関と比較して、構造的に何をするのに適しているのか(そして、適していないのか)」ということを考えることができる。大口の慈善家でさえ、政府や営利目的の投資家に比べれば利用できる資金が比較的少ない傾向にあるものの、一方で慈善家は利益を上げたり、幅広い支持者に活動を正当化したりする必要性によって行動を制約されることは圧倒的に少ない。新しくて実証されていないアイディアのように非常に「早い」段階の活動を支援することや、実際にインパクトを与えるまでに何十年もかかりそうな活動を支援することができる。成功するプロジェクトを見つけるために、失敗するプロジェクトを数多く支援することができる。重要性を認識するのに深い知識が必要で、大勢に対して行っていることの正当性を証明することが難しいような活動を支援することができる。これらの特徴は、可能性は低いものの上振れしうるプロジェクトに対して資金を提供することこそ、慈善家が他の機関に比べて得意とすることだと示唆している。

3. 営利目的の投資との類似性。ベンチャーキャピタル投資など、営利を目的とした投資の多くは、「ヒットビジネス」である。これについての説明は、以前紹介した記事を参照していただきたい。慈善事業と営利目的の投資は、いくつかの重要な点において似ていると思われる。具体的には、様々な結果をもたらす可能性のあるプロジェクトに対して、一定額の資金をどのように配分するかを考えることに行き着くのである。そして、営利目的の投資と慈善事業の違いの多くは(上述)、ヒットベースの寄付はヒットベースの投資よりもさらに適切である可能性が高いことを示唆している。

ヒットベースの寄付に「反する原則」

このセクションでは、多くの意思決定には適しているものの、ヒットベースの寄付には適していないと思われる原則について論じていく。わかりやすくするために、これらを「私たちは〜しない」という形で表現し、〜の部分に私たちがヒットベースのアプローチに適していないと考える原則を表すようにしてある。

以下の項目に共通するテーマは、ある原則が適していると判断されるには、想像しうる中で最高の寄付の機会(例えば「緑の革命」のような前のセクションで挙げたケースと類似しているもの)に適合する必要があるということだ。想像しうる最大のヒットを構造的にに妨げるような原則は、たとえ他の文脈では良い原則であっても、ヒットベースの寄付にはおそらく適さないだろう。

私たちは「資金提供の前に強力な証拠を必要」としない。質の高い証拠を入手することは困難で、通常は持続して十分なリソースが必要となる。したがって、この原則は、私たちの「見過ごされているもの」への関心とは相容れない。また、強力な証拠を必要とすれば、他の研究者がすでに徹底的に研究し、資金も豊富にあるアイディアを支援することになり、私たちが参加することで「ヒット」規模のインパクトが得られる可能性は低くなると思われる。また、政策に影響を与えることを目的とした活動科学研究への資金提供のように、活動の中には前もって有効な方法で「テスト」することが本質的に困難な場合がある。過去の慈善的な「ヒット」事例のほとんどが、直接的に成功を予測できるような強力な証拠に裏打ちされたものではなかったように思われる。(直接的ではない方法で、その活動に証拠が入り込んでいたとは思われるが)

私たちは「高い成功確率を追求」しない私の考えでは、高い確率で十分大きなプラスのインパクトを与えると正当に主張するには、強力な証拠が通常は必要だ。ベンチャーキャピタルのように、一回の成功には多くの失敗が伴うことを覚悟しなければならない。そしてその成功は、このことを正当化するのに十分な大きさでなければならない。

私たちは「専門家の意見や従来の常識に従う」ことはしない。それらの見識を得ようとはしても。専門家の意見や従来の常識に従うことは、見過ごされている問題を探し出すという私たちの目標に反する可能性が高くなる。もし、ある重要な事柄に関しての専門家の意見や従来の常識を変えるための初期の土台作りに資金提供するならば、これは「ヒット」の有力な候補になるだろう。ある事例において、私たちの意見に賛同する専門家(広義には「ある問題に深く関わってきた人」)が全くいないことは悪い兆候だと考えるが、専門家の間で意見の相違がある場合は、特定の専門家の側に立つことも必要だ。私の見解では、どの主張が私たちの価値観や基本的な認識論に最も合うかを判断するのに重要な論点を十分に学ぶことで、生産的に特定の立場を選択することができる場合が多い。

私たちは「論争の的になるような立場や敵対的な状況を避ける」ことはしない。他の条件が全て同じなら、そのような状況に陥ることは避けたいが、避けるために多大な努力を払うことは、ヒットベースのアプローチとは相容れないだろう。私たちは以下の形式の主張には共感している。「知的で善意ある人々が反対の立場を取る場合、自分の立場に自信を持つことは難しいはずだ。」「困っている人々を直接助けるなど、お互いに同意できることに全てのリソースを割り当てられたかもしれない状況で、2つのグループが対立してリソースを費やし、その結果何の変化も起こせないことは残念だ。」これらの主張は、GiveWell のトップチャリティを支持する理由になると思う。しかし、「ヒット」を狙うのであれば、これらの主張は脇に置いておく必要があると感じる。

多くの 「ヒット」は、社会規範や重要な意思決定者の意見を変えることで、インパクトの倍率を上げることにつながる、と私たちは考えている。また、見過ごされている問題への関心から、社会規範や組織された集団から強い反対を受けている問題を取り扱うことが多々ある。上に挙げた「ヒット」で、物議を醸さなかったものはない。経口避妊薬の例は、当時は非常に論争になった(私が思うに、これにより政府や資金提供者が当時必要であった研究を無視することにつながった)ものの、今日ではずっと広く受け入れられている、という点に留意してほしい。

私たちは「文書で自分たちを完全に正当化できると期待」しない。意見を文章で説明することは オープン・フィランソロピー・プロジェクトのDNAに必須ではあるが、このことが私たちの意思決定を歪めてしまわないように注意する必要がある。助成金を検討する場合、特に、曖昧で要約しにくいような情報に依拠した非常に複雑な案件の場合に、公の記事でどのようにその助成金を正当化するかということを先に考え、とても無謀だからと避けてしまうことを危惧している。これは、私たちが避けたいバイアスだ。背景知識をあまり知らない部外者にも説明しやすい問題に焦点を当てると、広く人気を集めるような問題に焦点を当てることになり、注目度の低い分野に焦点を当てることが難しくなる。

その良い例が、マクロ経済安定化政策に関する私たちの活動である。この問題は非常に複雑であり、何年にもわたる議論と関連がある専門家との協力、そして膨大な数の公開討論を通じて、私たちは見解を形成してきた。私が思うに、この問題を理解し、要約することが難しいのは、なぜこの問題が私たちの視点から魅力的に映る問題であるかということに関係している。マクロ経済学安定化政策は大変重要であるが、非常に難解であり、それゆえに特定のアプローチ(特に、経済研究とは対照的に政治環境に焦点を当てたアプローチ)が軽視され続けているのだと私は考えている。

プロセスとしては、意思決定のプロセスと公開する文書作成のプロセスを分ける試みをしてきた。助成金の推薦は通常、スタッフが社内文書で行う。そして意思決定者が助成金の背後にある基本的な考えを承認した後のプロセスにおいて、他のスタッフが社内の文章を「翻訳」して公開するのに適した文章に仕上げる。私がこのようなプロセスを必死に作り上げた理由の一つは、これにより助成金の正当性を説明することを心配せずに、最高の助成金を作ることだけに集中できるようになると思うからだ。

私たちの基本理念には、自分達の活動についてオープンであるというものがある。しかし、「オープン」というのは、「全てを網羅的に文書化する」「全てを人々が納得できるよう論じる」ということとは異なる。詳しくは後述する。

私たちは「利害の衝突や知のバブル、エコーチェンバー現象を避けることを極端に重要視」しない。時には、ある問題に関しての私たちの見方が、世間一般の人とはかなり異なっており、その問題解決の助けになると私たちが思う人が(偶然ではなく)その問題を私たちと同じように見ている人だ、ということがあるだろう。これは、知の「バブル(泡)」や「エコーチェンバー現象」といった、必要なはずの代替的視点や反論を持ち込まずお互いの意見を強化し合う知的レベルで絶縁された集団に陥ってしまう危険性を伴う[2]

場合によっては、このリスクは社会的コネクションによってさらに大きくなりうる。特定の分野のスペシャリストを採用する際、私たちはその分野における深い経験と強いコネクションを持つ人材を明確に求めてきた。そのため、プログラムの役員が私たちのアドバイザーや助成金の受領者として適している人たちの多くと友人関係にある場合がある。

私を含めスタッフは、特定の問題に焦点を当てるのではなく、複数の問題から選択することを専門としている。「可能な限りのよいことをするために問題を選択する」というミッションは、それ自体が知的空間であり、その周囲にはコミュニティが存在する。より具体的に言えば、私を含め多くのスタッフが効果的利他主義のコミュニティに属しており、そのコミュニティで多くの社会的な結びつきを持っている。

その結果、助成金の案件と人間関係を切り離すことが困難な場合がある。このような状況では、客観的でなくなり、入手可能な証拠や主張を合理的に判断できなくなる危険性が非常に高くなる。もし、私たちの目標が、最も強力に裏付けられた寄付の機会を見つけることであるならば、これは大きな問題となるだろう。しかし、「ヒットベース」のアプローチにとっての欠点はあまり明確ではなく、私の考えでは、このような状況を過度に回避しすぎることは受け入れがたい。

私自身を例にとって説明すると

  • 効果的利他主義やインパクト重視の寄付への強い関心を抱いていたことで、同じような関心を持つ人々と友人になり、同じ家にも住むようになった。
  • 私の価値観と基本的な認識論を最も強く共有しており、知的な仲間として最も興味深く、有意義だと感じる人々と多くの時間を過ごしている。
  • もし、 友人に対して私に助言をしたり、オープン・フィランソロピー・プロジェクトからの支援を求めたりすることを遠慮するように求める方針を取れば、それは私が特に信頼する人からの意見を受け付けないということなる。
  • 「ヒット・ベース」のアプローチでは、ごく少数の優れたプロジェクトがインパクトの多く(あるいは大部分)を占めると期待される。であるから、私たちの価値観を最もよく共有している人たちからのアイデアを受け付けないということは、活動の期待値を劇的に下げることになる。

この問題は、他のスタッフにとってはさらに顕著だ。というのも、ある地域で資金調達の機会を調査する責任を負うスタッフは、関連するコミュニティで最も深い社会的コネクションを持つ人になる傾向があるからだ。

はっきりさせておきたいのは、私は知の「バブル」や利益相反のリスクを無視するべきだとは考えていない。こうしたリスクを軽減するために、私たちは以下のことを行っている。(1)意思決定者に関連するコネクションを必ず開示する(2)意思決定を行う前に必ず、異なる視点を探す努力を積極的に行い、その際、私たちが知りうる限りの最も有力な反論も十分検討する(3)主要スタッフが、友人やアドバイザーの判断に頼りすぎず、自らで最重要課題を理解することを現実的な範囲で目指す(4)自分たちの人間関係が、状況認識を歪めているかもしれないと常に自問する(5)関連する利益相反や社会的関係を持たないスタッフから意見を求めるようにする。

しかしこれら全てをしても、多くの友人から強い支持を受けている助成金を推薦したいが、私たちの知的・社会的サークルの外からはほとんど関心を持たれていない、という状況に陥ることがある。もしそのような助成金を推薦しないことにすれば、インパクトを与える最高のチャンスを見過ごすことになり、これは「ヒットベース」のアプローチにとって容認できないコストとなるだろう。

私たちは「過信と情報不足という(何らかの現実的なリスクを伴う)表面的な見え方を避ける」ことはしない。私が思い描く理想的な慈善事業の「ヒット」は、私たちは可能性を感じるものの世間一般はそうは思っていないような、ある極めて重要なアイデアを支援するという形を取る。そして、そのアイデアを追求し、最終的に成功を収めて人々の考えを変えるために、他の主要な資金提供者ができないような支援をする。

そのような状況下では、そのアイディアに直面したほとんどの人が、最初は懐疑的で、おそらく強い反発を示すと思う。また、そのアイディアの背景には強力で明確な証拠などなく(あったとしても説明や要約が極めて困難で)、そのアイディアに賭けることは確率の低い賭け事であると予想する。これらのことを考慮すると、私たちの活動を見る外部の人々は、私たちが主に憶測や薄い証拠、自己強化型の知のバブルに基づいた誤った判断をしていると認識することが多いだろう。したがって、多くの人の目には私たちが自信過剰で情報不足のように映るだろう。実際、不人気なアイディアを支持するという性質上、私たちがどれほど頑張って(実際そうするべきで)別の視点を探し、検討したとしても、そうなってしまう危険性がある。

私は、「ヒットベース」のアプローチをとるには、そのような状況でもリスクを受け入れ、前進する覚悟が必要であると思う。しかし、後述するように、この方法には良い面と悪い面があり、このようなリスクを負うことと、単に自分勝手な幻想を追い求めることとの間には、重要な違いがある。

ヒットベースの寄付を上手く行うための活動原則

前のセクションでは、多くの原則に異議を唱えた。これらの原則は、他の文脈では重要なもので、GiveWell のファンにとっては私たちが従うと期待していたものだったかもしれない。もし、証拠や専門家の同意、従来の常識に基づかない提案を進んでするのならば、良い寄付と悪い寄付を区別する原則的な方法は何かあるのだろうか?それとも、ただ直感的にワクワクすることに資金を提供すべきなのだろうか?と問うのはもっともなことだ。

「ヒット」はその性質上、めったに起きないことであり、予測することはおそらく難しい。したがって、どのような行動が「ヒット」につながりやすいかを一概に語ることはできないと思う。過去に「ヒット」を生み出した慈善家を十分に知っているわけではないので、自信を持って多くを語ることはできないが、「ヒットベース」の寄付をできるだけうまく行うために、私たちが使っている原則の概要を説明することはできる。

重要性、見過ごされている度合い、取り組みやすさを評価する。これらは、オープン・フィランソロピーの重要な基準である。他の条件が同じ場合、これらの基準それぞれが「ヒット」を生む可能性を高め、また、それぞれの指標を単独で見るとかなりわかりやすく評価できる場合が多いと思う。このセクションの残りでは、難しい状況で(例えば、専門家のコンセンサスや明確な証拠がない場合)これらの基準をどのように評価するかということに関連した話をしていく。

考えられる最良のケースと最悪のケースを考慮する。理想的には、想定されるそれぞれの結果に確率を割り当て、全体的な期待値に注目するだろう。実際には、プロジェクトが長期目標を完全に達成した場合にどれだけの影響を与えるか(最良のケース)と、プロジェクトが誤った方向に進んだ場合にどれだけの損害を与えるか(最悪のケース)を検討することが、一つの近似点となる。後者は、そのプロジェクトにどれだけ慎重に取り組むべきか、またプロジェクトを進める前に考えうる反論の検討にどれだけの労力を費やすべきかを示す指標となる。前者は、重要性の尺度となりうるもので、これまでのところ重要性の評価にはほぼこのアプローチをとっている。例えば、私たちが算出したさまざまな問題に対する主要な政策変更の価値の推定値を見てほしい。

往々にして、目標は見かけよりはるかに達成しやすいものである(いくつかの例はこちら)から、価値はあるけれども不可能に見える目標を目指す価値は十分ある。成功することがめったにないならば、それなりに価値のある目標を目指すか、最大限のインパクトを与える目標を目指すことが重要になってくる。このような寄付には不確実性がつきものではあるが、「最高のケースでどれだけの利益が得られるか」という問いに対する答えは、寄付の機会ごとによって全く異なるものになると私は考える。

多大な労力を費やすか、そうすることができる人と強い信頼関係を築くことで、問題に関する重要な課題、文献、組織、人々について深く理解することを目指す。表面的な理解に基づいて、魅力的でインパクトのあるプロジェクトを支援すれば、他の資金提供者と重複してしまう危険性が高くなる。表面的には魅力的でインパクトがあるように見えるプロジェクトを支援しても、他から支援を受けていない場合は、他のチームが正当な理由で支援しないと決めたプロジェクトに構造上偏ってしまう危険性がある。対照的に私たちは、適切な方法で十分な情報を持ち、人脈があり、思慮深い、世界でもトップクラスの信頼できる人がワクワクできるプロジェクトを支援することを目指している。

これを実現することは簡単ではない。私たちが十分な時間をかけて取り組むことのできない問題に対して、最大限の知識を持つ(あるいは持つことができる)人々を見つけ出し、彼らと強い信頼関係を築く方法を見つなければならない。他の多くの慈善事業と同様に、私たちの基本的な枠組みは、フォーカスする分野を決め、その分野に特化したスタッフを採用することである。場合によっては、特定の分野に特化した人材を採用するのではなく、その分野にじっくりと取り組めるジェネラリスト(広範な知識を持つ人)を確保するようにしている。いずれにせよ、私たちのスタッフは、その分野で最も優れた知識を持つ人々とネットワークを築き、自ら強い信頼関係を築くことを目指している。

その努力の結果こそが、並はずれた思考と知識をもってして真に理解することのできる理由で「面白い!」と思えるアイディアを見つけ出す能力なのだと思う。これこそが、良いアイディアをそれが世間一般から良いと認識される前に支援して、「ヒット」させるための秘訣みたいなものだ。

戦略を立て、意思決定をする人の数を最小限にする。非常に異なる視点を持った多数の人が妥協した結果として意思決定がなされる場合、それが弁明可能合理的な決定である確率は高いかもしれないが、並はずれて上振れするような決定である確率はかなり低いと思われる。推察するに、後者は完全に伝えるのは難しい、深い思考と文脈に基づいた独特の視点を持つことと関連が高い。別の言い方をすれば、私は個人がどのアイディアを追求するかについて事前に合意を得る世界よりも、個人がワクワクするようなアイディアを追求し、より多くの仕事をこなし価値を示すことで、より良いアイディアが支持される世界を期待している。

正式には、助成金の推薦には、カリ・ツナと私の署名が現在は必要だ。私たちの長期的な目標は、それぞれの案件を最もよく知るスタッフに意思決定を委ねることで、それぞれの問題に関する戦略、優先順位、助成金は、各問題を最もよく知る一人の人物によって決定されるようにすることだ。例えば、刑事司法改革クロエ・コックバーンが、家畜動物の福祉問題ルイス・ボラードによって決定されることを目指している。上記のように、スタッフは、分野の専門家をはじめとして様々な人から多くの意見を求めるとは思うが、その意見をどのように考慮するかは、最終的にはスタッフの判断に委ねている。

そのためには、スタッフと信頼関係を築き、維持することが必要であり、それには、スタッフに多くの質問をし、彼らの考えを詳細に説明してもらい、重要な意見の相違についてはじっくり話し合うことが必要になる。そうはいっても、考えていることを全て説明するように要求することは決してしない。そのかわり、私たちが最も注目する、あるいは疑問に思う論点を掘り下げていくようにしている。信頼関係を築きながら、時が経つにつれて、関与の度合いや精査のレベルを下げていくことを目指している。

この基本的なアプローチについては、いつかまた詳しく書きたいと思う。

可能であれば、私たちにアピールするために計画を実行する平凡な人や組織を支援するのではなく、完全に裁量権を与えた(または最低限の制約のみついた)強力なリーダーシップを支援する。この原則の事例は、前の原則の事例の延長線上にあり、いつか詳しく書きたいと思っているものと同じ基本的なアプローチ – 主には意思決定の権限を最も深い経験と理解を持つ人々に移行させること – に適している。

その分野の他の資金提供者のことを理解し、彼らに合うと思われるものへの資金提供を遠慮する。これは、前述の「多大な労力を費やすか(中略)深く理解することを目指す」の一つの側面で、特記すべき事項であると思う。他の資金提供者の理念にフィットするものに私たちが資金を提供する場合、(1)他の資金提供者より少し早く動いているだけで、相対的にインパクトが小さい、または(2)他の資金提供者が正当な理由で資金提供を辞退したものに資金提供している可能性が高い。その分野の他の資金提供者のことをよく理解すること、そして理想的には彼らと良い関係を築くことが非常に重要であると思われる。

見過ごされる可能性が低いと(経験則から)思われる寄付の機会には注意する。この原則は主に前の原則の延長線上にある。あるアイディアが、従来の常識や専門家の総意とよく一致するように見える場合、または、資金力のある特定の利益団体に役立つと思われる場合、なぜ他の資金提供者からの支援をまだ集められていないのか、なぜ長く資金不足のままなのか、という疑問が生じる。

結論。私の考える理想的な寄付の機会とは、次のようなものだ。「Xという活動に対して深い知識を持つ信頼できるスタッフが、他の人にはあまり認められていないユニークな視点とアプローチを持つYという人物の活動を、ほとんど制約を設けずに支援したいと胸を躍らせている。このアプローチが巨大なインパクトを与えることは、たとえ見込みがないように見えたとしても、そのスタッフには容易に想像できる。そのアイディアを初めて聞いた私は、意外だという印象を覚え、おそらく奇妙に思えるか、直感に反しているか、または魅力的でないように映るかもしれない。しかしそのスタッフに、考えられる失敗のパターンや懸念事項、そのアイデアの根拠として明らかに不足している部分について質問すると、私が質問したことについてはすでに知り尽くしていて、よく考えられているように思われる。」私にとっては、この基本的な仕組みこそが他の人はサポートしない重要な仕事をサポートし、将来的に人々の考え方を変え、「ヒット」を得る確率を最大化するものだ。

ヒットベースアプローチと活動に関してオープンであることの両立

私たちの基本理念の一つは、自分達の活動についてオープンであることだ。その理由はいくつかある

  • 私たちが学んだことを活用してもらい、より知識を深めて欲しい
  • 私たちの考え方を理解し、それに疑問を持ち、そして批評して欲しい
  • 良い寄付をする方法についての高度な討論が公の場でもっと起こって欲しい

上述の通り、私たちは第三者に対して説得力のある方法で正当化することが難しいことを多く行おうとしており、この事実とこれらの目標の間にはある種の緊張がある。私たちの記事はしばしば、網羅的でなかったり、説得力が強くなかったりして、読者に私たちの判断が正しかったかどうか迷いを与えてしまうこともあると思う。

しかし、オープンであることと「ヒットベース」アプローチを取ることの両立は、かなりの程度可能だと思う。一つ一つの決断に関して、読者が理解できるところまで、私たちの考え方を共有することを目指す。例えば以下のようなものだ。

  • 私たちが考える主なメリットとデメリット
  • 私たちの見解の鍵となる前提条件
  • 私たちがどのようなプロセスを経てきたか
  • 文章だけでは判断がつかない場合でも、読者が自信を持って私たちの考え方に賛同・反対できるようになるには、どのようなことをすればよいか

いくつかの例として

このようなオープンな活動は、それ自体では不完全で、説得力が不十分でも、上記の目標の観点では、多くを達成できると信じている。

一般的に、この議論は、なぜオープン・フィランソロピーが個人の寄付者ではなく、大口の寄付者(どこに寄付をするかという問題にじっくり関わる時間を持つ人)を主に対象としているのかを明確にするのに役立つかもしれない。もちろん、私たちの見解が普通でなくて正当な根拠がないような場合に、個人の寄付者が私たちを信頼し、支援するという選択肢はある。しかし、オープン・フィランソロピーを信頼していない人にとって、私たちが書く記事は(おそらく GiveWell の記事とは異なり)私たちの言葉を信じるに足る理由を常に説明できるとは限らない。

「ヒットベース精神」vs. 「傲慢さ」

これまで述べてきたように、「ヒットベースの寄付」は不十分な調査や考察に基づいた自信過剰な見方をしていると表面的に見える側面がある(そして、実際にそうなってしまうリスクもある)。私は、この性質を表す簡単な表現として「傲慢さ」を使っている。

しかし、「ヒットベース主義」と「傲慢さ」の2つの間には目に見える重要な違いがあると思う。「ヒットベース主義」は、強力な証拠や専門家の同意の裏付けがない、物議をかもすようなアイディアに多大なリソースを投入するといった、一般的に傲慢さと結び付けられてもおかしくない行動を合理的に正当化することができるが、他の行動にもこのことが当てはまるとは思わない。

重要な違いを示すために、いくつか具体例を挙げてみる。

不確実性を伝える。傲慢さとは、自分が正しいと確信し、それに従ってコミュニケーションを取ることだと思う。そのため、自分の好きな活動やプロジェクトが最も優れたものに違いないとほのめかす人、その中でも特に、他の人が異なった問題解決のために行う活動を重要でないとほのめかす人は、傲慢であると私は思う。それに対して、ヒットベース主義は、アイディアにワクワクしながらも、そのアイディアに不確かであることのどちらにも矛盾しない。私たちは、自分の活動に対する疑問や不確実性をはっきりと伝え、自分たちのアイディアにリソースを注ぎ込んではいても、間違っていることもたくさんあると認めることを目標にしている。

必死に詳しく知ろうとする。傲慢さは、限られた情報をもとに結論を急ぐことと結びついていると思う。「ヒットベース主義」をうまく実行するには、自分のアイディアに対する賛否の両方を確実に理解するために、相当な努力をすることだと考える。あらゆる層の人全てが納得のいくような答えを出すことはできないだろうが、自分達の活動に対する疑問や異論について真剣に考えることを志している。

関わる相手を尊重し、人を騙すことや強要するなどの常識的な倫理観に反した行動を避ける。私の考えでは、傲慢さが最も有害なのは、「目的は手段を正当化する」という思考を伴う場合だ。逆張りしたアイディアを確信するあまり、常識的な倫理を破っても(最悪の場合は暴力にも頼っても)構わないと思う人によって多くの害が及ぼされてきたと思う。

上で述べたように、私は個人がどのアイディアを追求するかについて事前に合意を得る世界よりも、個人がワクワクするようなアイディアを追求し、より多くの仕事をこなし価値を示すことで、より良いアイディアが支持される世界の方がいいと思う。これはヒットベースのアプローチを幾分か正当化するものだ。そうは言っても、互いに嘘をつき、強要し、邪魔し合って、協調やコミュニケーション、交流が成立しない世界よりも、善良な行動や日常の倫理を守りながら、自分のアイディアを追求する世界の方が良いと思う。

この点で、誠実なコミュニケーションを心がけることが重要だと思う。私たちは、自分たちが全ての答えを持ち合わせているとは思っていないし、自分たちの意見を押し通したいと思っているわけでもない。むしろ、私たちが目的を追求することに協力するかどうか、どのように協力したいかをその真価によって公正に判断してもらいたいと考えている。私たちは、大胆なアイディアを追求すると同時に、いかに簡単に間違ってしまうかを忘れないようにしていきたい。

  1. ^

    生存者バイアスが働いている可能性や、成功したプロジェクトに対して失敗したプロジェクトが実際いくつあったのかという疑問もある。しかし、上記の例は、膨大な可能性の中から選ばれたものではないことに注意したい。(上記で取り上げた全ての慈善家は、寄付をする前に、同様の問題に関心を持つ著名な慈善家を短いリストとして記していただろう)。︎

  2. ^

    2017年8月より、パートナー団体との個人的な関係については公に書かないことになった。この変更に伴ってこの記事も更新された。︎

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We are excited to share a summary of our 2025 strategy, which builds on our work in 2024 and provides a vision through 2027 and beyond! Background Giving What We Can (GWWC) is working towards a world without preventable suffering or existential risk, where everyone is able to flourish. We do this by making giving effectively and significantly a cultural norm. Focus on pledges Based on our last impact evaluation[1], we have made our pledges –  and in particular the 🔸10% Pledge – the core focus of GWWC’s work.[2] We know the 🔸10% Pledge is a powerful institution, as we’ve seen almost 10,000 people take it and give nearly $50M USD to high-impact charities annually. We believe it could become a norm among at least the richest 1% — and likely a much wider segment of the population — which would cumulatively direct an enormous quantity of financial resources towards tackling the world’s most pressing problems.  We initiated this focus on pledges in early 2024, and are doubling down on it in 2025. In line with this, we are retiring various other initiatives we were previously running and which are not consistent with our new strategy. Introducing our BHAG We are setting ourselves a long-term Big Hairy Audacious Goal (BHAG) of 1 million pledgers donating $3B USD to high-impact charities annually, which we will start working towards in 2025. 1 million pledgers donating $3B USD to high-impact charities annually would be roughly equivalent to ~100x GWWC’s current scale, and could be achieved by 1% of the world’s richest 1% pledging and giving effectively. Achieving this would imply the equivalent of nearly 1 million lives being saved[3] every year. See the BHAG FAQ for more info. Working towards our BHAG Over the coming years, we expect to test various growth pathways and interventions that could get us to our BHAG, including digital marketing, partnerships with aligned organisations, community advocacy, media/PR, and direct outreach to potential pledgers. We thin